パレスチナで働いてみた②Aida Camp編

どうやら480番の高速バスに乗るとTel AvivからJerusalemにいけるらしい。

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ヘブライ文字読めなさすぎたけど数字で判断して進む。観光都市だが英語表記があまりない。

日本産の私、漢字とアルファベットの世界はイケるがヘブライ文字は読めない。だが英語表記もアナウンスも少ない。万国共通の数字とノリでバス停を探し当てた。

 

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バスの運転手さん

かくしてJerusalem(まだイスラエル側)に無事到着。他のインターン生、初めまして。こんにちは。

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New City(イスラエル側)はこんな感じで新しい駅がある。

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現地集合のJaffa Gate。上がヘブライ語表記でJaffa Gate、下はアラビア語で別名の表記

...全員女子?!

インターン生は各国3人〜5人程度、計24人。選考担当曰く応募もほぼ女子だった模様。外国語学習関連のイベント、国際協力系や国際会議ってなぜか女子が多い。

様々な出自の女子が24人も集まっており、またムスリムの女の子も混じっていたためイスラエルでは目をつけられ安く、何度か警官に職務質問を受けた。警官とはいえ日本と違ってライフル担いでる軍人なので、威圧感がすごい。適当にバックパッカーの団体で〜とあしらう。3大宗教の聖地ということもあり、Tel Avivとは違う国かというほどお堅い。最近では観光客は露出度の高い服装でも許される雰囲気はあるが、基本的に女子は長袖が望ましい。Jerusalemは2週目以降に私が滞在することになるので、後々細かく書いていこうと思う。


インターンの5週間は、1週間の現地調査兼オリエンテーション、2週目以降はそれぞれのインターン先に散らばっての活動というタイムラインだ。 1週間目のスケジュールはこんな感じ。 

 

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1週間目のスケジュールの一部(砂漠でボロボロになってしまった...)



...こうして振り返ると結構ハード。朝7時半にホステルからバスに乗り込んで、灼熱の太陽の下で現地の視察、夜10時に帰ってきてHummusとKebabを食す...って感じの1週目だった。初日にJerusalemから1週目のベースとなるBethlehemに移動した。Bethlehemはキリスト教徒の多い地域のため(イエス様が生まれたとされるthe Church of Nativityなんかが有名ですね)、少しまた雰囲気が代わり服装に関しては緩やかに。気候はTel Avivと違って内陸のためむしろ乾燥しており、涼しい。

 

印象深かった体験から時系列に追ってみたいと思う。

1週間目初日はAida Camp(Al Walajah)、難民キャンプを訪問。

Aida Campは1950年にUNRWAによりヨルダン政府の土地を借りて設立され、Bethlehem近郊2km、West Bankの中心に位置。 国際法では不法占拠とされるイスラエルの入植地、Har HomaとGiloの近くでもある。こうした立地条件も誘因しIsraeli Security Forces(ISF)による襲撃、キャンプ住民同士での諍いなどが絶えないキャンプでもある。
Aida refugee camp. © 2015 UNRWA Photo by Dominiek Benoot
Aida refugee camp. © 2015 UNRWA Photo by Dominiek Benoot

オスロ合意後は、キャンプはパレスチナ暫定政府による支配下(エリアAの扱い)に入り、壁を隔てた一部はイスラエル政府の支配下(エリアC)となった。このような状況により、住民はイスラエルおよび東エルサレムでの就労の機会などを奪われている。キャンプ全体の面積は0.71平方キロメートルに過ぎないため、人口過密によるパーソナルスペースの侵害、子供達の遊び場の不足なども問題として挙げられている。*1

 

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(撮る気になれなかったため画像は借りてきました)

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(撮る気になれなかったため画像は借りてきました。2)


Aida Campの入り口にはISFの襲撃・嫌がらせにより亡くなった若者たちの名前が刻まれていた。このキャンプで生まれ育った若いお兄さんに連れられ、ずんずん歩いていく。

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(同上、画像は借りてきました。3)

こんな感じの"壁”(The Barrier)が出てきます、所謂分離壁。ここが一番メディアに象徴的に取り上げられている気がする。

分離壁に関しては、地元住民は葛藤があると話してくれた。Banksyなどの
有名アーティストによる描画、外国人訪問者による反戦などのGraffitiはサポートになる一方、壁の存在を認めること自体がイスラエルによる統治の現状を看過するようで認めたくない、と話してくれた。

その後調べたところUC BerkeleyのHuman Rights Centreによる2017年のレポートで、世界で最も催涙ガスに曝された場所であると判明したようだ。住民の100%が過年に曝されており、うち84.3%は家の中で受けたとのこと。レポートはISFによる催涙ガスの「広範囲に渡る、頻繁で無差別な使用」を非難している。

私が歩いた日は無論平時だったので、子供が窓から物珍しげに手を振ってくるような場所だったが、脅威に曝されながら育つ彼ら彼女らに思いを馳せずにはいられなかった。初日で疲れていたため日記につけておらず記憶がここで止まっている。次の記事では二日目以降について書こうと思う。


(続く)

*1:UNRWA, 2018より意訳

パレスチナで働いてみた①入国編

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Bethlehem, Palestine



パレスチナに入るには、主に二つの経路がある。Tel Avivのベン・グリオン空港から入るか、Ammanから陸路で入るか。私は前者を選んだので、まずは数々の先人が「世界最恐(強?)のセキュリティチェック」を乗り越えるところから始まった。

 

イスラエルの入国・出国審査は厳しい。超厳しい。

 

入国スタンプを押されるとアラブ諸国への入国が不可能になるなんてこともあるため、以前は「スタンプ押さないで」と言わないといけなかったようだが、私が渡航した2018年夏は既にスタンプの代わりにビザ発行システムに移行していたため、基本頼まなくても押されないしこんなビザをもらう。

 

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ピンクが出国許可証、ブルーが滞在ビザ

 

また、私の場合「イスラエルパレスチナ和平を推進する団体でのインターン」を目的とした滞在だが、そんなこと言った暁にはback roomに引っ張って行かれて数時間質問責めにされることはわかっていたので無難に観光です♪と伝える。長期滞在で怪しまれる可能性を考慮して、いくつか観光地もピックアップしておいたのが功を奏し、すぐに通された。

空港突破のポイントは

①観光目的と伝える(パレスチナに行くとは絶対言わない)

➁知り合いがいるなら所属先、電話番号を聞いておく(実際電話されることもある)

③呑気な日本人である雰囲気を出す

に尽きると思う。

ちなみに他のインターン生は何人か怪しまれてback room行き、3時間ほど尋問されたそうである。昨年度のインターン生で今回は付き添いとして来ていた白人の女の子は入国審査官に気づかれて滞在の権利を予定の半分に減らされていた。IT関連のインターン等だったら歓迎されるのかなあ、など疑問に思った。まあ最悪の場合出禁になるだけなので焦らなくてもいいが、気持ちの良いものではないし航空券も無駄になるので、穏便に通過するには政治的関心ゼロです!といったふりをするに越したことはないと思った。

入国審査を突破したところで、Tel Avivの街をぶらついてみた。

 

Tel Aviv、侮るなかれ、超リベラルかつ超都会である。

さながら小さなヨーロッパ。LGBTsパレードもガンガン行われ、高層ビル群とビーチも近く、スタートアップの卵もたくさんあるような都市だった。湿度・気温共に高くて日本の夏以上に暑く感じた。

ゆっくりしたいところだがインターンに遅れられないので、一泊だけ友人宅にお邪魔になり、そそくさと集合地であるJerusalemに高速バスで向かった。いよいよインターンの始まりである。

 

 

初めまして

こんにちは。日本生まれ日本育ち、現在イギリスで大学生をしているlifeinenglandです。

2018年7〜8月に、パレスチナで5週間ほど働いてきました。雇用形態はインターンで、FFIPPという欧州、北米に支部をもつ団体の派遣生として、私はイギリスで3枠あったうちのひと枠の参加権を得ました。FFIPPはイスラエル・パレスチナの和平について学生に学ぶ機会を与え、今後の和平を推進することを目的とした団体です。基本的には1年間のインターンシッププログラムで、夏のパレスチナでのインターンシップ後は各国で有識者を呼び入れて勉強会を開いたり、SNS上で情報共有をしたり、次のインターン生選考を行ったりと活動は多岐に渡ります。

これから数回に分けて、個人的に印象的だった体験や、帰国後に受けた質問から考えさせられた、日本人にわかりやすい形でのパレスチナの現状の説明を共有していきたいと思います。

 

また、筆不精なのですが気が向いたら、イギリスの大学生活で思ったことなどを卒業までにまとめていけたらいいなと思っています。暫く日本語で長い文章を書いていないため、至らぬところも多々あるかと思いますが、よろしくお願いいたします。